大塚英志氏は、いわゆる「マンガ工学」というようなものの確立を目論んでいるようで、本書もその一つです。中国・台湾・フランスでマンガ(本書では「まんが」表記)塾を開催し、石森章太郎の『龍神沼』のシナリオをもとにマンガを描いてもらい、どのように異なるのか、どのようにしたら読みやすく面白くなるのか、そして結果的に国によってどのような傾向があるのかが示されていきます。
さまざまなコママンガが示されてるので、読んでいて非常に疲れました。1~2章分をよむと脳がグッタリしてしまいます。
大塚英志氏は、いわゆる「マンガ工学」というようなものの確立を目論んでいるようで、本書もその一つです。中国・台湾・フランスでマンガ(本書では「まんが」表記)塾を開催し、石森章太郎の『龍神沼』のシナリオをもとにマンガを描いてもらい、どのように異なるのか、どのようにしたら読みやすく面白くなるのか、そして結果的に国によってどのような傾向があるのかが示されていきます。
さまざまなコママンガが示されてるので、読んでいて非常に疲れました。1~2章分をよむと脳がグッタリしてしまいます。
大塚英志氏が漫画家を目指しつつ、徳間書店のマンガ雑誌の編集者のアルバイトに誘われ、2年間ぐらい働いていたときの、『アニメージュ』を中心にどのようにオタクの「評論」文化が作り出されてきたかを自身の経験や見聞きしたことを交えて語ったもの。あの時代の『アニメージュ』を読んでいた人なら誰でも一気読みできます。
ちなみに中学生だった私にとっては、『アニメージュ』は『風の谷のナウシカ』の連載だけを楽しみにしていた雑誌で、青年マンガ、少女マンガ、昔のマンガなど広大なマンガ世界をさまよっていたため(手塚治虫の『火の鳥』もその時出会います)、子供向けのアニメをそんなに夢中に見ておらず、そのほかの記事はほとんど読んでいませんでしたが、本書の内容はそんな人にとっても興味深いです。
タイトルの『二階』ですが、徳間書店のビルの2階に編集部があったため、そこに集まってきたアニメを評価する人々を住人を示しています。
確か、『アニメージュ』を創刊・初代編集長である尾形英夫氏の『あの旗を撃て!―「アニメージュ」血風録』で、その本が手元にないので正確ではないのですが、大塚氏のことを、たまにやってきて演説をして帰っていく変わった人物だったというように説明していたのを覚えていて、本書がその時代について書かれていて、しかも、なんとジブリの鈴木敏夫氏の要請で『熱風』で連載されたものとあとがきで読んで、書店で見つけてすぐに読み終わりました。
大塚氏は誠実でこの内容がすべて正しいと主張しません。タイトルに「私史」とつけるのはあくまでも自分の視点から見たものであるという主張です。大塚氏が見た以外の事実があるはずですし、大塚氏の解釈もすべてが正しいとは限りません。しかし、たとえば、上映会文化がオタクコミュニティを広げたのではないか、という論考は、「あの時代」の一面をするどく示していると思います。
二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史 (星海社新書)
映画『風立ちぬ』の原作マンガ。これが原作だったとはまったく知りませんでした。これを鈴木氏が読んで映画化を提案し、宮崎氏はいったん拒否したのは頷けます。原案があって、どのように映画に耐えうる物語にしていったのか、映画でどこを削除したのかがわかって面白いです。
性犯罪者の加害者の供述書をもとにした司法の問題点を示した論文を書籍化したもの。性犯罪加害者の心理がどのようなものか示していると思っていたのですが、事例が1つであるためか汎化は難しいなあと感じました。
また、供述そのものが加害者の本心なのか、確信を得られない感じが、読んでいる途中に常に付きまとうので、これだけで推測したり断定したりするのはできませんね。あくまでの事例の一つとしてでしたら価値があります。
加害者が自分のことばかり関心をもっていて、被害者のことを全く考慮に入れていないのがわかります。加害者の被害者に送る手紙には、「被害者に取り返しのつかないことをした」「家族に迷惑をかけて、自分はすべてを失った」「この罪を抱えて二度と繰り返さない」など同じ文句が並んでいる(129ページより)ということなんでしょう。たしか栃木のリンチ殺人事件も「被害者の分まで生きていきます」というようなことを犯人が供述していますしね。自分のことだけを考えているのでしょうね。そうでなければ犯罪を起こせませんしね。
先日は、コリン・デクスターが亡くなられたんですね。デクスターの功績といえば、やはり謎解きミステリをピーター・ラヴゼイとともに引っ張んてきたということでしょう。また、モース警部という個性的かつイギリスの探偵として伝統的なキャラクターを創造したことでしょう。ドラマも評判になったようですし。
本作は、コリン・デクスターの全13作中12作目の作品。
住宅街のブロクサム通り17号に住む29歳の物理療法士の女性・レイチェル・ジェームズは、裏の台所で銃で撃たれて殺され血だらけの遺体で発見され、近所の人に発見されて通報された。彼女は外から窓越しに撃たれていた。レイチェルの家からは誰にあてたかわからない、結婚を乞うように読める手紙とレイチェルと男が一緒の写真が発見された。モースとルイスはその男の捜査から始めた。
その写真の男は、ジュリアン・ストーズで大学の特別研究員で、大学の学寮長の選挙に出るところだった。レイチェルの隣にジェフリー・オーエンズという男が住んでいたい。レイチェルとストーズが付き合っていることを知ったオーエンズという関係があるかもしれない……。さらに近所の聞き込みをかけ状況を鑑みると、もしかしたら、長髪のオーエンズを間違えてレイチェルを殺したのではないか……。さまざまな推理をして捜査にあたるモースとルイスだが……。
基本的にアリバイ崩しで、まるで日本の社会派ミステリのようなストーリーとトリックでした(そういえば社会派ミステリ・社会派推理小説という言葉はいつの間にか消えてしまいましたね)。といっても本作はシリーズの中でも読みやすく☆☆☆★というところです。
『企業不祥事の研究―経営者の視点から不祥事を見る』を読んでいて、そういえば、大王製紙事件の本を購入したまま読んでいなかった、と思い出して本棚から取り出した本です。とんでも系の書評で評判が良かった告白本ですね。
まあ、様々な意味で面白い。わたしは芸能界関係について興味ありませんが、いきなり自分の芸能界交遊録が延々と語られていて、これは言い訳なのか、ここまで書いて書かれた人が迷惑かかるんじゃないのと感じるくらい自慢なのか、わからないぐらいです。
また最後に佐野眞一氏の雑誌で書いたノンフィクションに対する抗弁というか、事実誤認の指摘も興味深い。これはこれでスキャンダルなので、ここだけのでも読む価値があります。そのうち『佐野眞一氏の研究』をテーマにノンフィクションが書かれるかもしれません。
不祥事については、先日の『企業不祥事の研究』によると「一族支配を崩壊させたワンマン経営者の公私混同」としています。井川氏によると、こんなに大王製紙を大きな企業にしたのだから、このくらいの公私混同は後から清算をすれば大した罪ではない、とのことですが、社員は本音ではどのように思っているのでしょうか? きちんと業績を上げることができる経営者は限られるから、仕方ないと思っているのでしょうか?