ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『職業としての小説家』村上春樹,スイッチ・パブリッシング,2015ーー小説と小説家にまつわる話

 僕は村上春樹氏の小説を昔はたくさん読んでいましたが、いつしか手に取らなくなってしまいました。『中国行きのスロウ・ボート』『カンガルー日和』『回転木馬のデッド・ヒート』などの初期短編集なんかは、大学のころ何度も読んだものもあります。『羊をめぐる冒険』を最初読んだとき、「この感動は以前経験しているな?」と疑問をもって、しばらくして『長いお別れ』ではないかと確信して、それを指摘している評論はなかったか探した覚えがあります。それは謎解きミステリの謎を明かすようなものですから誰も書かなかったのかな、と当時結論づけました。

 本書ではその二つの作品の関係を述べているところがあります。それにしても『長いお別れ』の魅力って何なんでしょうか? 男同士の友情では決してないんですよね。やはりそれをうまく取り入れたのが『羊をめぐる冒険』のような気がします。人間って時間とともに変わるものであって、それでいいんだと言っているような気がするんですよね。

 本書は、小説家にまつわるエッセイ集です。本人のあとがきにも書かれているように、今まで他の媒体で書かれていたことを改めて詳しく的確にしたような感じがします。そんななかで本書で興味深かったのは、村上作品がどのように翻訳されていったかです。かなり意図的にこのようにしたいと思って、編集者や出版社でなく作家本人が一人で行動して翻訳出版を依頼した経緯が書かれています。

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))

長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 7-1))

 

『13・67』陳浩基,天野健太郎訳,文藝春秋,2014/2017ーーどんでん返しが冴えわたる短編群

 昨年の海外ミステリランキングの上位に挙げられた中国(香港)警察ミステリ。

 ロー警部が関わる事件をもとにした6つの短編(というよりも中編)を2013年から1967年までさかのぼって収録されています。その6つの短編がそれぞれ謎解きミステリが濃く一つの短編の半分ぐらいが謎解きで、さらにどんでん返しが複数あり、非常に練られていて面白いです。瑕瑾があるとすればフェア度が少し少ないことと、人物の名前が憶えづらいのでルビをうってほしかったですね。しかし世評の評価が高いのもうなずけます。

 文体も海外ミステリに影響を受けているようで、一部は長すぎるような感じもしますが緻密な描写がされています。キャラクターの行動のみを描写をしながら、街の説明をしているところなど、エド・マクベインのようでありました。

 というわけで、☆☆☆☆★です。やはり最後の短編の位置づけの意味が素晴らしいですね。これ以上の作品を書くのは難しいのではないでしょうか。 

13・67

13・67

 

『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー,熊谷千寿訳,ハヤカワ・ミステリ文庫,2016,2017ーークライムミステリ版スタンドバイミー

 デビュー作にして、英国推理作家協会賞最優秀長篇賞ゴールドダガー受賞、同最優秀新人賞ジョン・クリーシー・ダガー受賞、全英図書賞(年間最優秀犯罪小説部門)受賞、ロサンゼルスタイムズ文学賞(ミステリ部門)受賞などを受賞し、昨年のミステリランキングに軒並み選出されたクライムノベル。

 15歳の黒人の少年のイーストは、LAの麻薬組織に所属していた。その組織から、弟を含む20歳、17歳、15歳、13歳(弟)の4名の少年で2000マイル離れたところに住む裁判の証言者を殺すよう命令された。それも監視カメラなどを徹底的に避けるため車で行って、足がつかないようカードも使用しないという条件だった。4人の少年たちは警察を避けて2000マイルの旅に出たのだが……

 読んでいて、どうもキャラクターがつかめなかったため、『スタンド・バイ・ミー』の黒人版、かつ死体探しならぬ暗殺版にアレンジしたものとして頭で変換して、ようやくつかめたものの、それでも最後まで共感することができませんでした。というわけで、☆☆☆といったところです。

東の果て、夜へ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

東の果て、夜へ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

『それまでの明日』原 尞,早川書房,2018ーー消えた依頼人を探す探偵

 私立探偵・沢崎シリーズの長編5作目の14年ぶりの最新作。前作『愚か者死すべし』の内容は忘れてしまいました。調査中に引きこもりの少年と出会ったのは頭の片隅に残っているのですが。

 11月のある日の夕方、渡辺探偵事務所に「紳士」が自分が消費者金融の支店長を務めていて、その融資先の料亭の女将のことを調べて欲しいと依頼に現れた。その料亭の女将のことを調べるとすでに昨年亡くなっていた。その紳士に調査の結果を報告しようとしたが、消費者金融に向かったところ、偶然、銀行強盗に巻き込まれた。その銀行強盗の一味は金庫を開けるよう執拗に支持したのだが、支店長がなかなか現れない。そのまま失踪してしまったようだった。その依頼人はどこへ消えてしまったのか? 料亭、銀行強盗事件の周辺を嗅ぎまわる沢崎だったが……。

 カバーソデの編集者が書く本書の紹介のように、明らかに『長いお別れ』の構成を意識して書かれています。『長いお別れ』の構成とはアレなのですが、何度味わってもなかなか、やられてしまうものです。物語のテンポは相変わらずよくて、一気に読了できます。とはいうものの、中盤の事件がいささか肩透かしであること、あまりにも現代からずれていることから、期待を外されてしまいましたので、☆☆☆★というところです。

 チャンドラーから影響を受けたという作家は多いのですが、原氏のような影響の受け方をした方は原氏以外はいないので、どうにかもう一作は発表してほしいですね。

 それにしても、喫煙シーンが多いだけに煙草を「タバコ」とカタカナにしているのが気になりました。ひらがなでは文章に埋没してしまうから、カタカナにしているのでしょうが、「喫う」は漢字なのに。

 また、早川書房ではよく見かけるのですが、固有名詞を「〈●●〉」のように、山括弧を使用するのもよく意味がわかりません。何を基準にしているんでしょうね。

それまでの明日

それまでの明日

『カウント9』A・A・フェア, 宇野利泰訳,ハヤカワ・ミステリ,1958,1959ーーフーダニットよりもハウダニットで読者を引っ張る

  クール&ラム・シリーズ全29作中18作目の作品。中期後半にあたります。

 富豪家で探検家が開催したパーティで仏像と吹き矢が盗まれた。そのパーティではバーサが見張りを行っていたのだが。密室ともいえるところから、いったいどのようにして盗んだのか。またどうして、仏像と吹き矢を盗んだのか。ラムは盗品と取り返すよう依頼を受けた。捜査中に探検家自身がその毒の付けられた吹き矢で殺されてしまった。ラムはさらに容疑者の探検家の妻に犯人捜しを依頼する。

 タイトルの『カウント9』はボクシングのカウント10から一つ前の意味で、そこまで追い込まれたラムのことですが、そんなに追い込まれた感じはせず、最後には謎を解くことができない警察をひっかきまわすことに成功します。

 謎そのものは、ハウダニットについては、吹き矢を複製するというトリックは言われてみれば解けなくてはならないのですが、二つの盗品を実は別々で外にはこびまれた、そして一つはまだ密室に隠されいる、次に一つはカメラマンのカメラボックスに入れられて外に出た、さらにカメラボックスに入れたのはカメラマンじゃない他の人物だった、それから他の人物は脅されてカメラボックスに入れた、という次々に推理されて判明してくる展開は引っ張るのですが、フーダニットの根拠はいまいち曖昧。というわけで、いつものラム物の評価☆☆☆★といったところで、まあまあです。

 しかしこのシリーズでは一人称一視点をかたくなに守っているので、読者とフェアにあるべきというミステリの面白さを保っているので、トリックそのものがショボくても私はひいきにします。最後のシーンなど警察捜査の話を書くことができるのに、主人公が関わっていないシーンだとすっとばすんだもんなあ。いいですよ。

カウント9 (1959年) (世界探偵小説全集)

カウント9 (1959年) (世界探偵小説全集)

『湖の男』アーナルデュル・インドリダソン, 柳沢 由実子訳,東京創元社,2004,2017――冷戦時代の悲劇は

 エーレンデュル警部シリーズの第四作目の作品――ここで、ウィキペディアを見たら第六作目の作品とあるけれど、どちらが正しいのでしょうか。すでに15作もあるのでしたら、年2冊は翻訳・発行してほしいものです。やはり時代と合わせていなければ正当な評価はできないからです。

 地震により湖底の割れ目から水が大量に排出してしまった湖の底で、砂にまみれた頭蓋骨に穴があいている全身の骸骨が見つかった。その骸骨は男性で、四、五十代で殺されて、おまけにソ連製の盗聴器を身体に重しとして付けられて、三十年ぐらい湖に沈められたらしい。エーレンデュルら警察は、三十年前ぐらいに失踪したり行方不明になった人物を洗い出して一人一人探してみた……。

 本書は『緑衣の女』と同様に、現代の捜査と冷戦時代の東ドイツの話を時間の流れを交互に物語る構成となっています。この構成は、二つの物語が最後に収斂していくのはいいのですが、どうもミステリとしては謎解き要素を放棄しているようで、魅力を失っているのではないかとどうしても感じてしまいます。そのため私にとっては、それだけでポイントが落ちます。

 また本書は、警察小説におけるリアリティを保持したいという作者の狙いを感じます。最後にエーレンデュルは犯人を見つけますが、地道な捜査によってです。派手なトリックなどはありません。それでも、それぞれのキャラクターがメグレ警部シリーズのように読者に何かを感じさせるような筆致のため、読まされてしまいます。というわけで、☆☆☆★というところです。

 どうも冷戦時代の悲劇については、私にはピンときませんでした。あれほどスパイ小説を読んでいたのに遠くなってしまったんだなあ……。でも原著が書かれた2004年だったら、そんなことなかったかもしれない。

湖の男

湖の男

『フロスト始末』R・D・ウィングフィールド, 芹澤 恵訳,創元推理文庫,2008,2017ーー凄腕の専門職役人はいつも面白悲しい

 フロスト警部シリーズの最終巻です。これまでのシリーズと同様に楽しめました。

 このシリーズってフロスト警部のキャラクターに強く寄っている思うのですが、フロストの魅力って、いったいなんでしょうねえ。日本の警察物にはあまり見られないんですよねえ。これぞオッサンの魅力というか。フロストはスキナー警部やマレット警視に好かれていないけど、まあまあ事件に対しては真摯で解決するし、部下としてままあ自分のいうことを大人しくきく。しかし、警察内部の書類の提出や費用については全くだらしがなく、ごまかしてしまう。したがって出世はできない。つまりフロストは上には好かれていないけど、「専門職としての凄腕の刑事」であるということなんでしょうねえ。だからフロストが無茶を言っても部下はしぶしぶだけど言うことを聞くわけで。部下に対して勤務時間無視の命令をするときは、フロストもマレットも変わらいわけで。まあ部下の業績をそのまま分捕るようなことはしないわけですが。このへんのさじ加減が実にうまいですよね。サラリーマンの心にしみます。

 本書ですが、人間の足遺棄事件、連続強姦事件、少女の強姦殺人、スーパーマーケットへの脅迫事件、別の少女の行方不明など、複数の事件が偶然か必然かフロストは事件によっては嫌な気分を残しつつも、犯人逮捕に向かっていきます。この交通整理が見事と思いつつ、ちょっと偶然が過ぎていないとも感じる。というわけで、自分としては『クリスマスのフロスト』ぐらいにもう少し描写を削ってもいいんではないか、と読みながら思ったところで、☆☆☆☆というところです。このキャラクターの書き方を知るためにも読むこと必須ですね。 

フロスト始末〈下〉 (創元推理文庫)

フロスト始末〈下〉 (創元推理文庫)

 
フロスト始末〈上〉 (創元推理文庫)

フロスト始末〈上〉 (創元推理文庫)