主にJ3について、Jリーガーのセカンドキャリアについて、現状の報告と問題提起を目的にしたインタビュー集。J3の選手、町クラブのコーチ、森崎嘉之、安永聡太郎、西村卓朗、岡野雅行、磯貝洋光にインタビューを行っています。大泉氏も言及している通り技術をもっているフリーランスと同じような問題を抱えているのがわかります。
- 作者: 大泉実成
- 出版社/メーカー: カンゼン
- 発売日: 2018/07/11
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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イギリスの1930年代にデビューしたミステリ作家レオ・ブルースのデビュー作。作風はイギリスミステリ黄金時代そのもので、シリアスではないユーモアミステリです。私は初読で、今までに読んだ中では、殺人をゲームとして扱っているという点で、バークリー、イネスに近い、というかそのものの感じがします。
本書はデビュー作であるためか、力のこもった解説でもあるとおり、密室、3人の名探偵による多重解決、どんでん返しなど探偵小説のお約束の要素がてんこ盛りで、パロディの一種となっており、それが皮肉となることに成功しています。というわけで、☆☆☆☆というところです。
Amazonでおすすめされるまで気が付かなかった狩撫麻礼氏の追悼本で、ファンならばまったく損をしない充実した編集になっています。ちょっとこれ以上の追悼本は思いつかないくらいです。
かわぐちかいじ、江口寿史、松森正、大根仁のインタビュー・追悼の文章ががめちゃくちゃ良かった。
私は狩撫氏といえば、『ハード&ルーズ』でした。もちろん『ボーダー』も「アクション」の連載当時から読んでいましたが、蜂須賀のあまりのスーパーマンぶりにちょっとついていけなかった。あちら側、こちら側という概念は影響を受けまくっていましたけどね。『ハード&ルーズ』ぐらいの生き方が私の性に合っていました。今でもそうですね。完全に自分と同化していたというくらい影響を受けまくっていました。「人は感動をしたら道を踏み外す」「人と半音階ずれているんだ…」などですね。
その『ハード&ルーズ』では、土岐が探偵事務所を開くに至った理由がかわぐち氏の要望だったということ、また一匹狼に戻ったのが狩撫氏の意思だったということが意外でした。私としては、土岐が探偵事務所を開くとき、「確実にどんずまっていた」「これもシンクロニシティ」であると理由づけていることが好きだったんですよ。
関川夏央氏のことは、未だに続いていて、これからも続くようで残念です。私はファンですからね。梶原一騎、小池一夫以降、1970年代に現れた、マンガ原作者のホープといえば、矢作俊彦、関川夏央、狩撫麻礼だったと思います。そして3名ととも、その才能から、マンガ界から出ていくのではないかと思われていました。まずは矢作が小説家に転向し、次に関川がノンフィクションの分野に転向しましたが、狩撫だけは、中途で名前を変えざるをえない挫折を味わったものの、漫画の世界だけで生きたわけです。その転向というのはやはり一種の挫折なのではないでしょうか。
漫画原作者・狩撫麻礼 1979-2018 《そうだ、起ち上がれ!! GET UP . STAND UP!!》
アーナルデュル・インドリダソンの新作といっても、原著発行は2005年のかなりの旧作。インドリダソンは私と相性がよく、文章を読んでいても不快な気分になりません。今回もエーレンデュルの捜査のたたずまいや行動様式がメグレ警部に似ていて、メグレ警部物を読んでいる気分になりました。
最後まで犯人は不明で非常にスリリングでしたが、真相が明かされてみると衝撃が半分、謎解き要素が少ないものでした。
しかし、なぜほとんど最後まで推理できなかったと考えると、これまでのミステリにはあまり見られないミスリードがあったからではないか、とも思えます。そのミスリードとは、社会学的なもので、被害者がタイからの移民してきた10歳の子どもだったことから、犯人は移民に対して憎悪をもっていた学校の先生や近所の者のではないか、もしくは近所の小児愛的嗜好をもつ者ではないかなど、探偵役の警官が推理をしていくのですが、それにまんまと引っ張られてしまいました。
それを考えると、☆☆☆☆というところです。それでも年間ベスト10、悪くともベスト20にはランキングされてくると思います。
タイトルはもう少しストーリーを説明するものであってもよいのではないでしょうか? 例えば、そうですねえ、『厳寒の町の少年の死』ではだめか。原著タイトルの『Vetrarborgin』は「冬」という意味みたいですので、原著に合わせているんでしょうね。
久しぶりのSFです。わたしのSF歴は高校時代から、有名どころの作品を一通りではなく半分ぐらいかじってきた感じで、普通の人よりは読んでいる程度。例えば、『果てしなき流れの果てに』をまったく無情報(いま考えてみればすごい)で読んで、SFの醍醐味を味わったぐらいです。しかし理解できるSF、理解できないSFがあり、社会人になると理解できないSFに時間がとられるのが惜しくなり、決まった作家のSFしか読まなくなりました。このブログでもSFはほとんど出てこないのは、読んでも理解できないSFだったことが多いからです。つまりSF音痴人間ともいう。
今回は、そんな人間が書評とベストセラーになっていることで、たまにはSFを読もうと思って手にとった次第です。
いろいろ日常があって、忙しい中、本書を1週間で読み上げました。面白かったです。終盤、急速な展開に頭がボケてしまいましたが。それでも、最後は、これで終わりなの、中途で終わってしまった感がありました。でも私と同じようなくらいのSF好きは文庫化してから読んでも遅くなないと思います。
私は私立探偵小説が好きである。その理由は、どこから収入を得ているのか、財産をもっているのかにかかわらず、彼らがフリーランスだからである。何の権力を受けず、権力から自由に生きることを選択しているからである。
そういう点からみると、警察官はしょせん自分の食い扶持を心配することなく、事件の捜査や解決を試みる職業である。いくらフロストのようなワーカホリックで命をかけていようとも、組織の中で自由に捜査をしようとも、しょせんは仕事なのだ。そこに何の意義があるというのだろう。
スパイも同様である。先日、ル・カレの小説を久々に読んで、それなりに愉しかったが、読んでいるときも読んだあとも、キャラクターに対して違和感が残るのは、どうしてコイツらはこんなに威張っているのだ、ということだ。しょせん彼らはスパイという職業で国から給料をもらっている役人に過ぎないのにだ。何ももたず、国に反抗して、敗れ去って逃げてきた者のほうが何倍も、存在としては素晴らしいではないか。だから、国に裏切られたぐらいで、アイデンティティを喪失するのだ。初めからフリーランスであれば、そのようなことはないはずである。
しかし、フリーランスでいることは、威張ることができないし、プライドを喪失することがよくある。例えば、金のためである。それでも、私は、そのほうが尊いと思うのだ。これは、ホームズでもポアロでも、メルヴィール卿でも、マーローでも同じで(クイーンは警視の倅だから異なるけど)、私が、私立探偵小説に対して、採点が甘い理由はそのためである。
山口雅也氏の「モンスター」に関連する短編を集めた短編集。「もう一人の私がもう一人」「半熟卵にしてくれと探偵は言った」「死人の車ーーある都市伝説」「Jazzy」「箱の中の中」「モンスターズーー怪物團殺害事件」の7編が収録されています。山口氏の作品は、世界の影で起こった事件を舞台にしているためか、どの作品も「真夜中」あるいは「黒(ブラック)」の雰囲気をもっていて、本書も同じです。