ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『推理作家の出来るまで (下巻)』都筑道夫,フリースタイル,2000-1(◎)

推理作家の出来るまで (下巻)

推理作家の出来るまで (下巻)

 下巻になって,都筑道夫の初恋(これが「初恋といってもいいのだが,それは私がまだ西武池袋線沼袋駅の近くに下宿して,読物雑誌がつぶれて行くのに,おろおろしていたころから始まって,二十年ちかくつづいた。正直にいうと,いまでも私の内部では,おわっているといいきれないのだから,ロマンティックな話である」と書かれているとおり,追って読んでいくと面白い)から始まって,翻訳の勉強,兄のことと兄の死,「エラリイ・クリーンズ・ミステリ・マガジン」の編集者時代とその編集方針,それに対する日本推理小説会の反発,ミステリの翻訳作法について,田中小実昌などの翻訳者のこと,「少年マガジン」と児童読み物の執筆,『やぶにらみの時計』『猫の舌に釘をうて』「なめくじ長屋捕物さわぎ」シリーズなど,推理作家になるまでを述べています。それぞれのエピソードが興味深いですね。

「日本の推理小説は,英米にくらべて,四半世紀遅れている」
 とか,
EQMM日本語版を,私は推理小説雑誌ではないつもりで,編集している」
 といった言葉が,いわゆるミステリの鬼たちから,反発を買ったのである。前の言葉は,猛然と英米ミステリを読みあさっていた当時の私の,正直な感想だった。内容と形式の多様さ,小説としての洗練度,英米ミステリを公園の花壇とすれば,日本のミステリは長屋の窓の鉢植という感じが,私にはしたのだ。その後,松本清張の活躍,翻訳ミステリで育った新人作家,佐野洋たちが登場して,この差はどんどんちぢまっていった。一時はもう,遅れなぞないように見えたときもあったが,現在はまた差がひらいて,十五年ぐらいの遅れになっているような気がする。(162〜163ページより)

 この文章は,私もリアルタイムで読んでいましたが,同じように感じておりました。現在の日本ミステリの状況からは信じられないかも知れませんが(これについては後日詳しく書きます)。