ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

「もののけ姫」と「エヴァンゲリオン」

 「ポニョ」の評論や感想が非常に多く、結構読んでいます。2ちゃんねる以外は。面白かった派も面白くなかった派もそれぞれ妥当ですよね。だって、どちらも宮崎駿氏の新作映画に対して、何を求めているか、その違いによって異なっているに過ぎないから。私は肯定派でしたが、否定派の気持もよくわかります。

 宮崎駿氏が、物語上のクライマックス(正確には盛り上がりともいうべきかな?)を放り投げてしまったのは、「もののけ姫」からでした。それまでは、ラストにオチがあるような気がします(と書きつつも、本当にそうなのか不安になってきました。そうではないような気がする)。ようするに「もののけ姫」以前の作品と以降の作品では、構造的に異なっていると言いたいんですけどね。

 まあ、それで、私は「紅の豚」以前の作品は、一度見れば十分で、もっといってしまえば、退屈なんですね。けど、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」は何回か見てしまっている。「ハウル」なんて、退屈で寝てしまったという人多いんですけどね。「ポニョ」も同じようになるんじゃないかと思うんです。

 とにかく「もののけ姫」から変わってきたと。世界観や物語をすべて説明しなくなったと思うんです。そんなことよりも、映像や動きなどをシーンを最優先にしています。それ以前は、説明をしていたと思うんです。けど、宮崎氏がそうなってしまった理由は何だろうか。インタビューなどで結末を決めずに製作にかかると聞いて(それも信じられないですけど)、そのためにオチらしいオチをつけることができなくなったのかな、と思ったのですが、どうも「ラピュタ」などそれ以前の作品もラストまでストーリーを決めずに製作していたらしい。

 そこで、ピンときたのが「エヴァ」です。私が最初「エヴァ」のテレビ版を見た時、多くの人と同じように最終2話に驚いたわけです。こんな結末がアニメでアリかと。アニメってのは多くの人がかかわる共同作業で作られるのに、こんなプライベートフィルムを作ることが可能なのか。普通、周りの人が反対して止めますよね。制作スタッフが庵野氏に対して、相当な信頼感をもっていたのかなあと。

 ここで、ひょっとしたら宮崎氏も「エヴァ」をみて影響を受けたのではないかと妄想したわけです。「エヴァ」はそれまでの伏線をすべて説明せず、監督の表現したいことを最優先にしてしまった作品でした。庵野氏のスタンスを引き受けてしまったのではないかと。調べてみると、「エヴァ」の放映が終わったのが1996年3月。「もののけ姫」の上映が1997年。うーん、どうなんでしょ? 宮崎市のような頑固そうなベテランが「エヴァ」に影響を受ける…。そんなことはないですよね。

 話は変わりますが、2008/08/10付の西日本新聞朝刊で「ポニョ、実は最初はカエルでした 映画監督 宮崎駿http://qnet.nishinippon.co.jp/entertainment/get/20080810/20080810_0001.shtmlで以下のように述べています。

─さて次作は?
宮崎 明治の文豪が出てくる探偵モノなんてできないだろうか、と考えたりするけど、誰も乗ってくれない。面白そうでしょ? そんな案が自分の中でごろごろ転がっているけど、まだ何も決まってません。

 「明治の文豪が出てくる探偵モノ」と聞くと、山田風太郎の明治物の作品かと思うとワクワクしますね。