ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

本を捨てる

 部屋のあまりの汚さと散らかりように少々あきれていたので、掃除と片づけをした。本が本棚からあふれて、畳に積んでいる山がいくつもあって、少し揺れたりさわったりしただけで、その山のうちのいくつかは、すぐに倒れてしまうのである。

 そのために2冊ぐらい部屋を片づけるためのマニュアル本をブックオフで買ってきた。しかし、2冊とも「まず捨てろ」とし、その後整理の仕方を説明している。そりゃあ、当たり前だろう、物が少なくなれば片づけやすくなるのは。

 まあ、普通の人はそんなものだろうなと思う。だけど、コレクターに対する理解や愛情がないなあとガッカリしてしまった。物を捨てたくないから整理がしたいのに。好きな物に囲まれて暮らすということが、どんなに安心するか。

 でも、どんどんスペースがなくなってしまう。暮らしていけなくなってしまう。しょうがないので、まず、(1)既読で捨てる本、(2)既読で捨てない本、(3)未読の本に分けた。

 (1)の既読で捨てる本は、ほとんどの小説にあたる。でも、この選別が難しい。というのは、最近ここ10年ぐらいの新刊が古本屋に流れる量が少なくなっているような気がするからだ。このネットの時代、捨てても探せばすぐに手に入るといわれるが、そうでないのではないか。私が高校生の頃、古本屋にいくらでもたくさん並んでいた文庫が、今まったく見られない。探すのが大変となっている。だから、捨てるのに躊躇してしまう。『ワイオミングの惨劇』も捨てる方に分類してしまったが、よかったのだろうか? 先日読んだ『興奮』などは2回捨てて3回買っているなどの例もあるけど。

 一方、(2)であるが、再読するかもしれない小説や必要とするマニュアル本、資料となるワンテーマの編著モノを残した。全部を再読する可能性を残している小説なんて、ほとんどないが、一部ならばあるなあというものが多い。ようするに好きな作家だ。ガードナーなど残している。ガードナーは手に入りにくい作家なのだ。あれだけ売れたのに。ちなみにフランシスも捨てずに残したほうがよいのかもしれない。

 あと、本を捨てるという行為は、学生のときまではできなかった。本は自分そのものだったからだ。しかし、社会人になって、できるようになった。正確にいうと、できるようになったのではなく、身を削っているような痛みに耐えているだけである。本質的には変わっていない。しかし、これも成長というのだろう。悲しいことではあるが。