ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

 人に気を遣いすぎるということ

 今日『SPA!』を立ち読みしていましたら、小田島隆氏が『浦和レッズ敗戦記』を紹介しており、昨年のチームを「人に気を遣いすぎてしまった」というニュアンスのことを記していた。気を遣いすぎて、福田の言うコミュニケーションがなくなってしまったということでしょう。しかし、コミュニケーションという言葉も人によっていくつもの意味をもっていて曖昧ですね。

 で、この「人に気を遣いすぎる」ということで思い出したのが、紙谷研究所さんのよしながふみフラワー・オブ・ライフ』を評した文章。『フラワー・オブ・ライフ』って評判がよかったので読んでみたのですが、一読したとき正直いって魅力が体感できませんでした。けど、この文章を読んでわかった気がしたのです。そして、こんなに気ばかり遣っていたら神経が疲れてしまうなあ、と嘆息してしまったわけで。

 それでもう一つが『とらドラ!』。この登場人物も非常に気を遣います。といっても『フラワー』とはちょっと違ります。『フラワー』が空気を作る、こまかな人間関係の調整弁の役割になっているとしたら(としたら、これはとてもリアルですね)、『とらドラ!』はその心理をダイナミクスな物語の中心にすえている感じ。そして、『フラワー』ではそれぞれの登場人物が上手くやって、ゆるやかなユートピアを醸し出しているけど、『とらドラ!』は登場人物達が気を遣うことと自らの感情に齟齬をきたして、こころに傷を負ってしまいます。

 この「気を遣いすぎる」ということ。これって、最近のことなのでしょうか? それとも漱石の時代からある近代人の自我の始まりとともにある、ある意味普遍的なことなのでしょうか?