ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

 『さよなら、愛しい人』レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳、早川書房、2009

 『ロング・グッドバイ』に続く、村上春樹氏によるチャンドラーの『さらば愛しき女よ』の新訳。『長いお別れ』→『ロング・グッドバイ』になったとき、ストーリーが分かりやすくなって――その分、何かが失われてしまったけれど――、よい翻訳だとこれはアリだと感じました。この『さらば』を翻訳すると知ったとき、ちょっと勘弁してくれないかなとも思ったけれど。

 清水訳を初めて読んだのが、夜の長い通勤電車のなかで、ストーリーは入り組んでいてというよりも、描写があって説明がないので、引き返し引き返し読んだのですが、それでもラストシーンと事件の結末は、意外性もあって、しかも犯人像をあのように印象づけるミステリはなかったので、十全に理解できなかったのにもかかわらず、感動したものです。ずいぶん後まで、ロサンゼルスのベイシティの夜の港の海のキラキラ光って綺麗だけど、どこか物憂い描写が頭の中に残りました。

 そして今回の訳ですが、清水訳をずいぶん長い間読んでいないので印象でしかないのですが、ストーリー的には清水訳とそれほど変化がなかったように思います。おそらく、『ロング・グッドバイ』ほど、清水訳は省略していなかったのではないでしょうか。読後感は、小説というよりも、昔のハリウッド映画の小品を見た感じがしました。現在の小説にはあまりない、場面転換ごどにシーン(章)を起こしているため、41シーン(という表現でいいのかな?)あり、まるで映画の場面転換のように感じました。どんどん場面転換していくため、テンポがよいのですが、良すぎるところもあり、シーンの内容を咀嚼しないうちに、次に移ってしまい、前シーンを読み返すことがたびたびありました。

 この小説は、「夜」の移動ばかりであり、その描写が印象的なはずなのですが、村上訳ではそこらあたりがうまく感じられなかったのは残念というか、しょうがないですね。そう、今回は映画の『ブロンドの殺人者』になんとなく似ている。ちょっと軽めのところか?

 でもなあ、今回再読して改めて感じたことは、『The Long Goodbye』は『Farewell, My Lovely』の焼き直しだったのではないでしょうか。『Farewell』のマーローは何故あんなにムース・マロイに対して、あのような行動をとったのか、なんとなくは感じられるんだけど、はっきりは納得できないような気がします。だから、映画版のラストも、小説のラストシーンを変えてしまった。プロットが複雑ですから、それだけでも映画の内容はもちますし。おそらく、それはチャンドラー自身も感じていたのでは。

 それで、『The Long Goodbye』では、冒頭にマーローとテリー・レノックスの友情を育むエピソードをもってきた。――そのエピソードが他の作品にはない、完全なオリジナルで素晴らしかったので、名作になったのですけど。二つの作品ともラスト近くで、マロイもレノックスもマーローの前に現れるところも同じですし。

 あと、やっぱり、『さよなら、愛しい人』という翻訳タイトルは、あまり良くないですよねえ。英語タイトルに近いのですかね? 何となく、おそらくチャンドラーが皮肉的な意図を持たせていたにもかかわらず、それが消えてしまったような気がします。

 ちなみに、『さらば、愛しき女よ』は私のベストミステリのひとつなんです。何度読んでも分からないにもかかわらず、感動してしまうミステリは他にはありません。

さよなら、愛しい人

さよなら、愛しい人