最近、ネットでの評判に感化されて「ラブプラス」を購入したんですよ。恋愛シミュレーションゲームなんて、したことがないんですけど、一度ぐらいは経験しておいてもいいかなと思って。今まで何故か、そのチャンスがなかったので、今回のブームは、まあいい機会かなと。プレイしたら初心者なんで勝手がわからずも、今まで刺激されたことがない快感が刺激されるような心地よさを感じて、はまるはまる。
そういう恋愛シミュレーションゲーム初心者ですけど、私は違和感も感じるわけです。ラブプラスでは3人のタイプが「少し」異なる高校生の女子が恋愛対象者なのですが、その3人は、ルックスはもちろんのこと性格などそのスペックがとても高いのです。しかし、商品としてゲームプレイヤーに好感をもたられるようになっていて、どの女の子も捨てがたいんですよね。
そういう女の子と出会ってコミュニケーションをとってデートをして告白をさせてしまうわけです。そういうルートを辿ると、「プレイヤーのスペックも当然高くなければこんなことあり得ないよなあ」「俺にはありえないよなあ」なんて違和感を感じるのですが、ゲームを楽しむために、こんな可愛い女の子に告白されるわけですから「俺っていい男なんだなあ」と頭の中でリアリティを調整することで対応できる。この「リアリティの調整」が必須なんですよね。
それで、このコミック『神のみぞ知るセカイ』を私は「週刊サンデー」の連載で読んでいたのですが、作者の可愛い絵柄と軽妙なストーリーに感心しつつも、なんというか、主人公のスペックが完全すぎて、うまく乗り切れなかったわけです。簡単にいい換えると、「こんなゲームオタクが策略を張り巡らすとはいえモテるわけないだろう」「こんな頭いいヤツなんていないだろう」「そんな簡単にキスまでいかんだろう」「告白からキスまでをはしょるな」とかですね。こんな設定じゃ、読者の共感を得ることはできないんじゃないのとも。
それが、「ラブプラス」をやってみて、作者の策略がすとんと胸に落ちたわけで。つまり、桂馬という男は、恋愛シミュレーションゲームのゲーム内のプレーヤーそのものであり、そのなかでリアリティのある存在なのだと。だから本作のストーリー観そのものが、桂馬=読者がプレーヤーである恋愛シミュレーションゲームであるとしたら、この桂馬がモテ過ぎるという違和感に、むしろそれを逆手にとったゲーム的なリアリティを感じてしまうのですね。
それは上手い。実に上手い。そういうメタ的なカラクリがある作品に私は弱いんですよ。『ハルヒ』シリーズのようにね。そこにやられてしまった。でも、それを成り立たせるためには、元となるストーリーに魅力がなくてはならないわけで、本作は十分に達成していると思います。
ところで6巻のなかで「けいおん」の話がとても好きなんです。内容はパロディなのですから、その魅力を原作品に一部負っているのですが、なによりもテンポがポンポンポンと進んで心地よいんです。1シーンを1コマでたたみかけるように表現し、どんどんシーンを変えていく。これを1コマでやっちゃうのかよ、なんていうふうに感じたのは『めぞん一刻』以来なんです。あと、こんなにモテるのも耕平ちゃん以来ですかね(いちいち例えが古いなあ)。
まあ、これらはゲーム初心者の戯れ言で、結構当たり前のことかと思いますが。
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