ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『まんが学特講――目からウロコの戦後まんが史』みなもと太郎, 大塚英志,角川学芸出版,2010

 みたもと太郎氏を講師として、大塚英志氏が聞き役として、大塚氏が抱いていた「トキワ荘史観」とは異なるマンガ史観を解説したもの。私も大塚氏と同じような考えをもっていましたが、本書の貸本劇画から連なるマンガ史観によって、頭の隅っこにぐにゅぐにゅと残っていた違和感の一つが綺麗になったような爽快感を味わいました。

 不思議だったんです。『まんが道』において、主人公二人が高校生の頃という比較的早い時期に、さいとうたかを氏を思わせる劇河大介という男が出てきたのか? 『まんが道』の連載当時は劇画は流行っていたためかなと思っていたのですが、実は劇画の源流も手塚治虫であったことを示すためだったんですね。

 また、ディズニーをはじめとするフルアニメからマンガを読んだ世代と、手塚治虫以降のリミテッドアニメからマンガを読んだ世代では、マンガというのはコマに描かれた絵からキャラクターの動きや声などを読者が想像して読むものですが、その動き方が全く異なることがオドロキであるとともに、私の世代とそれ以降の世代のアニメやマンガの受け取り方が異なる根拠が理解できました。

 もう一つ面白かったのが、1970年代の東京オリンピックと万博を挟んで、マンガが変わってしまったと証言されていること。以下のみなもと氏の発言の後、戦前にあった人間形成小説、ビルドゥングスロマンのスタイルが消えていき、昭和40年代に広告業界を中心にビジュアルとファッションが洗練されていったと述べていて、興味深い。そのへんの具体的な描写は、出版の変化として、小林信彦氏の『紙の砦』や長谷邦夫氏の『漫画に愛を叫んだ男たち』に現れていますね。

――それは具体的には少年誌に劇画が入ってきたとかですか?
 そういうのもひっくるめて全部変わったんですよ。少年まんがで言うと、以前は三好清海入道も、山中鹿之助も、後藤又兵衛も、荒木又右衛門も、清水次郎長も、みんなまんがの主人公だった。でも、それ以降は完全に姿を消す。少年まんがを取り上げただけでそれくらいの断絶があるのが、日本中のカルチャー全部においてそういうことが起こったんです。(174頁より)

 以下は上記に続くものですが、世界のヒーロー観を黒澤が作って、それから変えてしまったと述べています。先日読んだ『複眼の映像』とからめてもいいかも。

 映画は黒澤明でまたも変わってしまったし。「用心棒」の桑畑三十郎と「椿三十郎」のたった二本の映画のために、日本のそれまでの映画、歌謡曲を歌いながら人を斬るような東映時代劇というものは息の根を止められた。で、「用心棒」の亜流のクリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」で、ハリウッドのノーテンキ主人公は全部潰されたでしょ。黒澤は姿三四郎を自分で作っておいて、世界が全部そうなっている時に、今度は自分で全部潰したわけですね。だから黒澤の天才は俺はすげえなと思う。

 最後に、角川はこういう本を出版できるのだから羨ましいです。まあ、あまり売れないのでしょうが……。

まんが学特講  目からウロコの戦後まんが史

まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史