ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『宮崎駿の世界』竹書房,2004

 『ハウルの動く城』公開時に編集されたムック本。鈴木敏夫×石井克人押井守×上野敏哉の対談、斎藤環森川嘉一郎山本直樹氷川竜介、正木晃、小松和彦米沢嘉博村瀬学、安藤雅司×鈴木健一×村田和也の鼎談など、エッセイ・評論が詰め込まれています。本人にはインタビューせず、外部から光を感じ取った感じのノンフィクションのような趣があり、文献・資料としても使えるものです。

 まず、鈴木敏夫氏の対談が全編にわたって宮崎駿氏の映画制作のプロセスと映画そのものへの愚痴ばかりで、非常に面白い。まあ、ほかのインタビューや書籍でも喋っていることではありますが、あらためて指摘されますと、やっぱりそうなのかよ、と驚きと嘆息が出てしまいます。

鈴木 それじゃあ、たとえばこういうのはどう思いましたか。僕は傍から見ていて、一体どうしたらいいんだろうと思ったんですけど。『千と千尋の神隠し』で千尋が名前を奪われて「千」として働くまでの時間の流れ方と、その後の時間の流れ方はまるで違うでしょ。ああいうことをやった人っていうのは居るんですかね。
石井 いや、居ないんじゃないですかね。僕個人の意見で言えば、そこがやっぱり『千と千尋の神隠し』という映画の革命的なところというか、映画を作る側から見ても勇気を与えてくれるというんですかね。
鈴木 本人には自覚がないんですよ。
石井 そうなんですか。自覚はないんですか(笑)。
鈴木 「宮さん、前半と後半の時間の流れが違いますよ」って言うと「エッ」って言う人なんですよ。気が付かれたかどうか、今回の『ハウルの動く城』だって、とんでもないことをやっているんですよ。(中略)(10頁より)

 この後、カット数と平均秒数などを挙げて、具体的にその説明がなされます。そうか、あの前半と後半の違和感は、意図的ではないんですね。そういうことがあるんですね。また、以下では、全体のまとまりや整合性を放棄したことに対する迷いが素直に述べられています。まあ、それを他人が指摘したら、「それじゃあ、先が読めてつまらないでしょ」と答えるのでしょうけど。

―――そういう意味で言うと、『ハウルの動く城』というのは、商業主義とも言えない作りになっていたように思うんですが。
鈴木 僕はこういうこうとだと思うんですよ。確かに全体のストーリーは起承転結を崩している。だけど、シーン毎には、ちゃんと起承転結がある。それを集めてあるわけでしょ。だから、そこの部分は忘れていないのね。二重構造になってるんですね。宮さんはそういうのは絶対に外さない。ただし、全体は崩してもいいんだと。一つのシーンを見ている分には本当に楽しいの。それが全体として見た時に、どうやって有機的に繋がるのかというところで変なわけですよね。だけど、「それを含めて面白い」って言う人が居るのが現代であって。だから一方には、「つまらない」って言う人が出てきても、おかしくない気はするんですけれどね。(17頁より)

 これは、シーンそのものの集合体が現実世界であるという考え方であり、それに最低限のリアリティを感じ取るということなんでしょうかね。世界そのものはシンプルなものではなく、複雑であり起承転結はありません。現代人はそれを信じるほど子どもではないのでしょう。しかしアニメや映画ぐらいでは夢を見させてほしいという願望があるわけです。『もののけ姫』以降の宮崎映画では、その夢とリアルのバランスが絶妙な形でとられています。だから、わたしたちは否定せず絶賛するのでしょう。

宮崎駿の世界―クリエイターズファイル (バンブームック)

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