ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『ナイルに死す』アガサ・クリスティー, 加島祥造訳,ハヤカワ文庫―クリスティー文庫,1937→2003

 質の良い謎解きミステリを読みたいと思うと、ローテーションでクリスティの出番が巡ってくるのはしょうがないですね。改めてクリスティやクイーンを読むと、ほかの作家を評価するとき、思わずダブルスタンダードを使ってしまうくらい、レベルの違いを感じます。

 本作はクリスティ中期の傑作と呼ばれる作品。わたしは映画の「ナイル殺人事件」をずいぶん前、そう20年以上前に、テレビ放映で見ていたので長大な原作に尻込みして今まで手をつけていなかったのですが、先日の『東西ミステリーベスト100』に入っていたのにオドロキ、この機会にと手に取った次第です。犯人も憶えていなかったしね。

 少しずつ読み進むにつれて、犯人は○○ではないか、と確信的に考えていたのですが、それが見事的中しました。おそらく記憶の底に印象的な犯人像として残っていたのでしょう。それでも、やはり「傑作」としかいいようがない満足感に満たされました。

 クリスティはコージーと呼ばれていて、単に犯罪と無関係な田舎が舞台で、プロではない素人探偵がドタバタしながら犯人を追及するジャンルとしか考えていなかったのですが、本書を読んで、「このような作品こそコージーなのだ」と感嘆しました。

 本作は、舞台はナイル川ロードムービー的、観光小説的なところもあり、探偵はプロの「私立」探偵のポアロ、キャラクターはポアロと無関係で知り合いでない人々、捜査は一人ひとり尋問していくもので、コージーとは無縁と考えがちですが、一人ひとりのキャラクターとそれにまつわる行動様式、そしてストーリーがコージーなのです。

 一つ例を挙げてみましょう。[ここからはネタバレ気味なので未読の方は次のパラグラフまで飛ばしてください]。一つの船室で殺人が起こるのですが、殺された女性が身につけている真珠のネックレスが消えている。犯人はそれが目的だったのか、そうでないのか捜査されていくわけですが、ひとりの年配の金持ちの女性が宝石を見るとつい手が出てしまうという病的な盗癖があるというのです。その女性の周囲の人がそれを分かっていて、日常的にはフォローしていると述べています。ここが明かされたとき、あっと驚きました。病的な盗癖とは、いわゆる「泥ママ」ですね。こういうキャラ設定と犯罪の絡み方がうまい形で展開されているのです。

 こういうことって非常に簡単なように思いますが、いざ他の作品であったかなと考えてみると、あまり思い当たりません。上記のとき、読者としては犯人なのか、ミスディレクションなのか迷いました。このようなストーリーが本書では全篇覆われています。だから最後まで飽きることがないし、あくまで日常から地続きですから、誰でも興味を持つことができます。これが優れたコージーミステリなのでしょう。

 というわけですが、本作は☆☆☆☆といったところです。最後に犯人像が反転してしまうところも小市民の哀しみを描いており、非常に印象的でした。

ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)