ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『少年の名はジルベール』竹宮惠子,小学館,2016

 竹宮惠子氏の東京上京から『風と木の詩』の連載まで綴ったエッセイ集。

 最初は書き下ろしかと思っていたけれど、奥付前のクレジットをみると語り下ろしらしいですね。オーケンの『サブカルで食う』も語り下ろしでしたが、このように自らの手札を披露するエッセイ集は、自意識が邪魔をして書けないのでしょうか。それとも時間がなくて書く気がないのに、語り下ろしでもよいからというオファーを受けただけなのでしょうか。まあ、このような無理やりな形でもよいから、作家の創作論が現れるというのは意義があることです。私も編集者として見習わなければなりません。

 私は、角川書店から発行された全集をあつめたくらいの、竹宮惠子氏のファンで、今まで断片的に語られたに過ぎない、この時期のことを系統的に語ってもらって、非常に面白かったです。大泉サロンはどのように生まれ終わったのか、竹宮氏にとって増山氏はどのような役割を果たしていたのか、一時期キャラクターが似ていた萩尾氏との関係はどのようなものだったか、ヨーロッパ旅行は何故どのようにして実行されたのか、わかります。いままでの断片的な情報と少し異なることもあったような気がしますが、時を経て認識が変化したのでしょう。

 とくに貴重だったのは、『ファラオの墓』の成り立ちです。ある日『風と木の詩』のアイデアが出てきてから、旧態依然の少女マンガ編集部に自分の表現したボーイズラブ的な作品を掲載してもらうために奮闘したり、各編集者に『風と木の詩』を売り込んだりしているのですが、「その前に『ファラオの墓』があるはずだろう、いつになったら『ファラオの墓』のことになるのか」とイライラしていました。私は『ファラオの墓』を(退屈なところもあるけれど)悲劇的なフィクションとして非常に高く評価していて、なぜ代表作として語られることがないのか不思議に思っていたのです。

 それがきちんと竹宮氏の作家歴の大きな一部として語られていることに安堵したくらいですよ。そして、何故、突然変異的に『ファラオの墓』のような「物語」が誕生したのか、そして何故退屈なところもあるのか、わかりました。まさか、初めて「物語」を意識的に作った作品であるとは思いも寄りませんでしたが。

少年の名はジルベール

少年の名はジルベール