『少年ジャンプ』で立ち上げから編集を、『ヤングジャンプ』でも立ち上げから編集し、10年間編集長を担当し、その後、白泉社に移籍し『ヤングアニマル』に携わった名編集者のインタビューによる自叙伝です。これまで、『少年ジャンプ』はどのように編集されていたか、その時の編集長のインタビューによって明かされていますが、本書は『ヤングジャンプ』について書かれている点で画期的です。
『ヤングジャンプ』は思えば変な雑誌で、マンガ雑誌であればオタクが寄ってくるのに、マンガ好きが好まないマンガが掲載されているのです。それは、私なんかでも立ち読みをするのですが、内容はすっかり忘れてしまうような漫画です。編集者というものはマンガ好きですので、どうしても自分が面白いと思うマンガを掲載したいといって、雑誌はマンガ好きが好むものになりがちなのですが、そうはならなかったことを意味しています(『孔雀退魔行』はオタクに受けていたはずですがね)。それでは誰が読者であったのか? これは、そうとう強い編集方針があったはずです。それを明かしてくれています。
『ヤングジャンプ』は『俺の空』『花平バズーカ』(この小池一夫・永井豪氏を組み合わせたきっかけも面白い)を創刊から持ってきて、青年に受けるマンガを提示しましたが、中途から、『キャンパスクロッキー』『わたしの沖田くん』『北の土龍』が人気アンケートの上位を独占します。ここで筆者は以下のように述懐します。
『俺の空』『花平バズーカ』は「セックスを含む恋愛・暴力・(権力への)闘い」という雑誌スローガン体現している。『キャンパス』も『沖田くん』も暴力や闘いではなく、セックスの衝動はあっても直接描写はなし。
では、なぜ受けるのか。
『わたしの沖田くん』や、その後の野部作品に顕著な冴えない青年が、強い女友達(強い母、強い女教師)に囲まれ、男の子は「嫌われない工夫」に走るという構図こそ、読者にとって身近なものだったのだ。(162ページより)
角南氏はこれを受けて、基本方針そのままに時代に合わせれば、大丈夫と確信し、さらにグラビアを強化する方針を打ち出しています。『少年ジャンプ』にグラビアはないけれど、『ヤングジャンプ』に現在も続くグラビアがあるのは、そういうことだったようです。
それにしても、ミスターヤングジャンプといえる野部利雄氏にもうちょっと触れてほしかった。歴史には残らないけど、偉大なるB級マンガ家なんですから。