昨日の続きで,『推理作家の出来るまで』について。
下巻には,都筑氏が「ミステリマガジン」の編集長になってから,早川書房を退社するまでも書かれていますが,これが興味深い。
雑誌からの依頼で,ウールリッチやガードナー,クリスティなどを翻訳していた。が,覚えたばかりの英語のため苦労して翻訳していた(この英語の翻訳の修得の仕方と方法が,これまた驚異的なんですが)。
そんなとき,早川書房の田村隆一氏から電報が来る。電話をかけてみると「ちょっと相談したいことがあるから,きょうあすのうちに,早川書房へきてくれないか,といわれた」(139ページ)。
それで早川書房に行くと,これから創刊する「エラリイ・クリーンズ・ミステリ・マガジン」の日本語版の責任編集者として入社してくれと頼まれるのである。編集を担当していた者が,早川書房の社長と衝突して,急に辞めてしまったためというのだ。都筑氏は,一日考えて,それを引き受けたわけであった。
確か,「ヒッチコックマガジン」の小林信彦氏の編集長就任も,「宝石」に投稿してた小林氏に目を付けた江戸川乱歩に呼ばれて,いきなり編集長をお願いされたということだったように思います。『紙の砦』ではそのような感じでしたね。この時代は,そういうものだったんですかね。それとも,都筑氏・小林氏両名とも,自分が思うより周囲に評価されていた存在であったのかも知れませんね。いや,おそらく,その後の活躍を考えると,そうなのでしょう。