ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『暇と退屈の倫理学』國分功一郎,朝日出版社,2011.

 昨年、書評などで評判になった哲学書。人間は物質的に豊かになるにつれて、生きるのに全面的に使わざるを得なかった時間に余剰が生まれた。それを「暇」という。さらに、行きすぎた資本主義がその暇を奪い合っている。「労働者の暇が搾取されている」(23頁より)のだ。なぜ、暇は搾取されるのか? 人間は暇になると退屈してしまい、それを嫌うからだ。「こうして、暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか」(24頁より)という問いが生まれた。本書は、それを扱った論文である。それぞれ空間と時間の観点から述べられており、面白い。哲学書なので、思考ゲーム的な側面が強く、メンタル的に必ずしも当てはまらないのではないか、と感じることもあったけれども。

 著者は、現状の消費社会が問題であると述べているし、非常に共感できる。我々の生活は、暇がある人もない人も、自らが望んでその生活を選択しているわけではなく、そのように社会から強いられているとしている。そして、誰もがそれを問題点と考えていない。肯定している。ケータイ電話によるサービスが、人間の必要性に立脚したサービスのみではなく、たとえば電車の通勤時間、エスカレーターに乗っている時間、睡眠時間など、それ以前だったら消費されずにいた時間でさえも消費させるようなサービスでビジネスを展開している。それを変だと思うのではなく、経済活動だと肯定しているのだ。それを豊かさと考えている(もちろん全員ではない)。

 消費社会とは、サービスという檻とエサに管理された社会である。これを脱するにはどうしたらよいのだろうか。その答えの一つを著者は提示している。人間はなぜ退屈を忌諱するのか。退屈から抜け出すためにはどうしたらよいのか。著者の答えは残酷だと思う。それができるくらいならば、苦労はしないと思わせる。それがどのように残酷なのかは、読んでみるとよいでしょう。

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学