ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『逃亡者』折原一、文春文庫、2009、2012ーー逃亡し続けるのは難しい

 折原一氏の作品は何を読んで何を読んでいないか、わからなくなってしまいましたが、おそらく半分ぐらいは読んでいるかと思います。そして読むたびにいつも思うのは、 「なんて上手い文章なんだろう」ということ。叙述トリックを中心とした作風が求めた文体なのだろうと思いますが、これだけ平易な言葉だけできちんと読ませるのは的確な描写、的確なリズムがあるためでしょう。というようなことも、本作で感じました。

 本作は、松山ホステス殺害事件をモデルにした作品で、事故のような殺人事件で警察病院から脱走した女性が、時効までの15年間を、執拗に操作する刑事、DV気質の夫から日本中を逃げて回るミステリです。とにかくこの逃走が逮捕ギリギリのところを逃れており、サスペンスフルで飽かずに読ませます。こんなにうまく展開していくかなあとも思いましたが…。

 次第に折原作品らしく、この事件が終わってから行われたように思わせる、主人公、夫、母親、形成外科医、逃亡先で知り合った男など、あらゆる関係者へのインタビューが挿入され、これらが意味があるようで意味が通らない感じがするなど、いったい真相は何なのか、と気になる仕掛けになっていますが、最後まで読んでみると、不明なところもあり☆☆☆★というところです。

 傑作というわけではありませんが、とにかく時間つぶしには最適なミステリです。 

逃亡者 (文春文庫)

逃亡者 (文春文庫)

『最終章』スティーヴン・グリーンリーフ、黒原敏行訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2000、2002ーー熱狂的な愛読者をもつ作家が爆弾で襲われる

  私立探偵ジョン・タナーシリーズ全14作中14作目の作品でラスト。原著は2000年ですからなんと19年前の作品ですね。これで新作が読めないとなると厳しいですね。

 このシリーズは、ネオ・ハードボイルド小説として始まりながら、次第に普通に私立探偵+謎解き小説としてバランス良く成り立つものとなっています。これが物足りないという人もいるでしょう。本作もそのとおりの作品で、オープニングから謎解き要素が満載でニヤニヤしてしまいます。考えてみれば、この作風の変化はディック・フランシスに似ているかも。

 アメリカのロマンス小説でベストセラー作家のシャンデリア・ウェルズのもとへ、作家活動を止めるよう脅迫状が届いた。シャンデリアは友人の紹介でタナーに身辺警護を依頼した。シャンデリアの成功とその過程において、脅迫状候補が複数認められた。元夫、盗作をサイン会で叫ぶ同業の作家の卵、書評家などで、タナーは一人ひとりあって突き止めていくのだが、新作の小説を上梓したシャンデリアのサイン会の帰りの自動車に爆薬が仕掛けられ爆発し、元FBIのボディガード兼運転手が死亡、シャンデリアは大やけどを負い意識不明に陥ってしまう。責任を感じたタナーは捜査を始めていくのだが、自分に対しても危険性を感じるようなことが起こる。いったい犯人は誰なのか? 事件の凶暴性から推し量るとシャンデリアの狂信的な愛読者なのか?

 というわけで、中途の展開などまさに王道といえるものであり、中途から読者の予想を裏切る王道から外れる展開ながらも平均的な面白さを保証する作品ということで、☆☆☆★というところです。

 しかしまあ、これが20年前の小説だからね。Amazonやネットの書評を気にしていたり、サイン会・朗読会を開催していたり、狂信的な愛読者がいたり、本当に現代と変わりませんね。アメリカの出版事情が垣間見えるのもよかったですね。

最終章 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

最終章 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

『殺す者と殺される者』ヘレン・マクロイ、務台夏子訳、創元推理文庫、1957、2009ーーむしろ2000年以降に読んだほうが面白い

 ヘレン・マクロイ全31作中17作目の作品。後期の作品かと思っていましたが、意外と中期の作品で、おそらく当時としては野心的で、ここまで翻訳が遅れたことのは意外性の極限を狙って滑ってしまったが、現在改めて読むと面白さを感じることができる作品といえます。これを時代が追いついたというのでしょうか。先過ぎますけど。

 若手の心理学者のヘンリー・ディーンは、働かなくてもよいくらいの伯父の遺産を引き継ぎ、大学を辞め、田舎の故郷に帰って悠々自適な暮らしを過ごすことにした。その田舎に引っ越しをしたのだが、ある日、自分の見覚えのない小切手が切られて、銀行から連絡を受けた。その小切手を受け取った小売店に行ったところ、ヘンリーの運転免許証をもった自分に似た人物が持ってきたらしい。せっかく故郷に帰ったのに、莫大な遺産を引き継いだヘンリーに集った不審者がいるのではないかを不安を覚えるヘンリーだが…。

 マクロイのなかで、○○○○をトリックあるいはテーマに使用した作品があるというのは、昔の『ミステリマガジン』で宮脇さんが連載していた未訳紹介のエッセイにありましたが、本作であるとはまったく知らず、いきなりこの展開になったときは驚きました。最近あまりないということと、出現の仕方がいきなりだったので効果的でした。

 最後まで読んで、改めて最初から少し読むと、けっこうあからさまに伏線を張っているのがわかります。変だなあというところも、まんまとミスディレクションに引っかかってしまいました。

 また、当たり前なんですけど、冒頭からのキャラクター、書き方、展開が、ウィリアム・アイリッシュフレドリック・ブラウンのようで、いかにもこの時代のミステリという感じがして、今読むとこれも愉しい。

 というわけで、タイトルの妙も相まって、本来でしたら傑作ではないのでしょうけれど、ページ数も短くて丁度よく、ちょっと甘くして☆☆☆☆というところです。マクロイのこの手の作品はどうしても甘くなってしまいますね。なんででしょうね。 

殺す者と殺される者 (創元推理文庫)

殺す者と殺される者 (創元推理文庫)

『誰よりも狙われた男』ジョン・ル・カレ、加賀山卓朗訳、ハヤカワ文庫NV、2008、2014

 ジョン・ル・カレの第21作めの作品で、私にとっても久々です。

 スパイ小説華やからしき頃は私のようなミステリ者もスパイ小説を読んでいたものです。しかしいつの間にやら読まなくなってしまった。ル・カレなどもその筆頭で、まずは名作の『寒い国から帰ってきたスパイ』を読んでスパイ小説の骨格を知って、処女作の『死者にかかってきた電話』『高貴なる殺人』を読んだら謎解き小説で驚き、スマイリー三部作の『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』『スクールボーイ閣下』『スマイリーと仲間たち』で「文章はわかるのだけど内容がさっぱりわからん」小説を読んでスパイ小説を理解するのを諦めたという経緯をたどりました。

 そのような者がいまになって何故ル・カレを手にとったかというと、歳を重ねたらわかるに違いないと、いつかは理解せんと虎視眈々と狙っていたわけです。また、後期になってきて読みやすくなったという評判を読んだこともその一因です。

 というわけで、本書を読み始めたのですが、直前に宮部みゆき氏の作品を読んで、そのストーリー運びの違いが興味深く、比較検討をしていたためか、いつの間にかツルツル読みすすめることができました。とはいっても、何度も読み返したのですが。

 舞台はハンブルク。ロシアからドイツに逃げてきたチェチェン人の若者は、ドイツに亡命しようとして慈善団体に保護された。その若者の父親は莫大な遺産をドイツの銀行に残してきたらしい。ドイツの諜報機関では、その遺産を若者がどのように使うのかを探ろうとするのだが、イギリス・アメリカの諜報機関も絡んできて…。

  というわけで、☆☆☆★です。ラストは、いや、やられました。あれをストーリーをおじゃんにするというのか、それともこれが現実だとみるのか、読む者を選びますね。私は非常に無力感をもちました。

誰よりも狙われた男 (ハヤカワ文庫NV)

誰よりも狙われた男 (ハヤカワ文庫NV)

 『ペテロの葬列』宮部みゆき、文春文庫、2013、2016

 杉村三郎シリーズの3作目。このシリーズはアルバート・サムスン・シリーズを意識しているということで気になるシリーズで、主人公が肉体派ではなく、かといって知性派でもない、あくまでニュートラルなところを進んでいます。

 主人公らは、バスジャック事件の被害者になり、そこから過去の犯罪を暴くことにあるというストーリーで、流れがスムーズで読みやすい。しかし、主人公の独白がどうしても女性のものに読めてしまい、あまり没入できませんでした。ですから、ラストシーンもあまり衝撃というわけでもなく……。これはサムスン・シリーズで描かれていないところを作者が杉村に仮託して答えを記したということなんですかねえ…? というわけで、☆☆☆★というところです。 

ペテロの葬列 上 (文春文庫)

ペテロの葬列 上 (文春文庫)

ペテロの葬列 下 (文春文庫)

ペテロの葬列 下 (文春文庫)

『パリ警視庁迷宮捜査班』 ソフィー・エナフ、山本知子、川口明百美訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ1943、2015、2019ーーはみ出し捜査チームミステリ

 フランスのジャーナリスト、作家、翻訳家、ライターのミステリ作家デビュー作。内容はいろいろな媒体に展開できるようになっていて、いかにもこれらの経歴を活かしきった作品でした。

 パリ警視庁に新たに特別捜査班が設置された。メンバーは約20名で『相棒』のハイブリッド版といっていい。その中心になったのは、警視正のアンヌ・カベスタンで、癖のあるメンバーとやり合いながら、迷宮になった事件を捜査していくのいうのがアウトライン。その事件というのが3つ同時並行で捜査していくのだけど…。

 やはりデビュー作というのもあって、ぎこちなさがあって、あまり字面だけを追って読むだけだと、ストーリーが把握できず、もう一度戻って読むことも何回かありました(これは自分の集中力のなさのせいが大きいのだけれど)。

 また、キャラクター小説の側面が強いけれど、滑っているように思う。自国の評価は☆5つばかりのようだし、アマゾンの評価も高いから、これも私のせいだろう。

 トリックというか、意外性そのものは、デビュー作という感じがあって、意欲的でなかなかよかった。もっと話運びがうまくなれば、すばらしい作品もこれから出てくるのではないだろうか。というわけで、☆☆☆★というところです。

 ーーしかし、アマゾンの評価で読まないままで他の作品と設定が似ているだけというだけで☆1つをつけるのは、出版社の人間として、ひどすぎる。このような設定など昔から多くあるもののバリエーションに過ぎないのだから。 

パリ警視庁迷宮捜査班 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

パリ警視庁迷宮捜査班 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

『ディオゲネス変奏曲』陳浩基、稲村文吾訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2019ーー作者ファン向けの昔の香りのする短編集

 『13・67』の作者・陳浩基氏の短編集。339ページで17編が収録されています。かねてから言われていたとおり、SFもあって、バラエティにとんでいます。ショートショートもありますが、落ちのある話というよりも、スケッチという感じで、ファン向けの短編集ですね。

 『13・67』ではミステリ的なトリックというよりも仕掛け・構成に加えて、キャラクター描写がよかったのですが、本書も遺憾なく発揮されています。SFなどは筒井康隆などの昔懐かしい日本のSF小説を思わせます。というわけで☆☆☆★というところです。 

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)