戦後からデビューし活躍した謎解きミステリ作家・鮎川哲也の第2あるいは3長篇。鮎川氏の代表作であり、謎解きミステリの年代をこえて読まれるべき傑作でしょう。
というのも、オリジナルのトリックが用いられているからです。このトリックは結構流用されているのではないでしょうか? でも、横溝正史なども使われているような…。というよりも、日本人的なトリックかもしれない。日本人にとって、この動機の一つは自然な感じがします。
- 作者: 鮎川哲也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1992/03
- メディア: 文庫
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日本芸術大学のレクリエーション施設の寮として利用しているライラックで覆われた洋館「りら荘」は、埼玉の奥地の秩父にあった。そこに芸術家の卵である仲のよい7名の音楽学部や芸術学部の学生がレクリエーションのため滞在することになった。そのなかには婚約発表したカップルもいた。
警察がりら荘の側を流れる川の上流で炭焼きをしている男が崖から転落死したのだが、屍体の側にトランプのスペードのエースのカードが落ちていたので、殺人と判断し捜査に現れた。そのカードはその一人が所有していたものだった。その後、ココアに混ぜた砒素で学生の一人で婚約発表した女が殺された。郵便受けにスペードの2のカードが発見された。第2の殺人事件である。ココアを作ったのは殺された本人だった…。次に殺された女の婚約者の男が、延髄にナイフを刺されて発見され、またスペードの3のカードがあった。こうして次々と第3・4・5の連続殺人事件が起こり、警察は翻弄されてしまった…。
しかし、鮎川氏の作品は、謎解きが横溢していて面白いのですが、読んでいると文章に違和感を感じます。例えば、「彼女は決して美人ではない。正直に表現すれば醜いほうであった。だがいくら醜女であるといっても恋してならぬ道理はなかろう」という文章があるのですが、だれがそのように思っているのか記述されていません。「私」でも「彼」でもな。三人称なので、「神」の視点で著者が説明しているのでしょう。つまり、「醜い」と思って説明しているのは著者であるのです。
しかし、それならばそれで、著者のことがもっと前面に出てきてほしいところです。そのため読者は明確な視点を定めることができず、憶測で判断するため、手探りをしているような感じになり混乱します。この視点は、この時代なのでしたら、おそらく普通に通用するのでしょうが、現代においては、難しいでしょう。このような視点で語られる小説は、現代には見かけません。だから、鮎川氏の作品は、古めかしく読みづらさを感じるのはないでしょうか。
でも、何でもありの現代においては、それが新しさを感じるところにもなっています。そういう世界観もあるのだなと。