ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『なめらかな社会とその敵』鈴木健,勁草書房,2013

 各方面の書評で尋常ではない評価を受けていたので読んでみましたが、内容と用語が難解で十全に理解したとはいえません。というわけで、私は、もし「なめらかな社会」が訪れたらどうなるのか、SF小説として読みました(著者もSFの原案をしていたことがあるようですしね)。
 率直に言うと「なめらかな社会」というのは、強制的につながらなくてはならない社会であって、嫌だなあと思いました。そんなにしてでも皆さん、つながり合いたいのですねえ。うんざりします。私のように、なるべく社会とつながり合いたくない、最小限のつながりでよい、と考えている人間を排除したいとすら思いました。せっかく解離的な社会になって、非常に住みよくなってきたのに。
 今のネット社会は、フェイスブックを象徴とする、つながり合うことを良しとする人々が利益を受ける社会であり、つながり合いたくない人にとっては、たとえ不利益でもつながらないことを選択しているのですが……。
 著者はそのようなことを全く主張していませんが、SFとして理解しようとすると、まあそのように読み取ってしまったと言うことです。本書の新しい貨幣システムなどは、うまくいかないでしょう。人間はそれを利用して自らの利益になるようにねじ曲げるに決まっています。そして、それは一種のバランスであり反動なのだと思います。

 こうした世界の複雑さに向き合わずに、社会は責任者という仮構をつくりだして、原因となるビンゴのマスを探していく。世界を単純に理解しようとするのは、そうやってわかった振りをして胸をなでおろすためである。
 原因と結果の関係がどこまでも遡れるというだけではなく、ループになっているとしたらどうだろうか。(中略)
 ひとりひとりは世界を単純な責任の問題としてみようとしていて、そのことを通して全体としてどこにも帰責できないようなループ構造をつくりだし、そして存在しない問題が実体化する。(5頁より)

 これは、本書の冒頭に世界観の一部ですが、なんとなく何かに当てはまるような気がしますねえ。リアリティがあるというか……。

なめらかな社会とその敵

なめらかな社会とその敵