- 作者: 堀井憲一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/04/19
- メディア: 新書
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著者の堀井憲一郎氏は1958年生まれだから,ぼくより一回りぐらい年上ですね。本書を読んでいると,知っていることと知らなかったことが分かりました。
例えば,「第1章 1989年の一杯のかけそば」のテレビでのフィーバーぶりは憶えています。当時は,この物語のことを「嫌な話だなあ」と感じていましたね。「第2章 1983年のクリスマス」については,知らないことが多くありました。
ぼくの感覚では,1989年ぐらいから,家族と過ごすクリスマスではなくて,恋人と過ごすクリスマスとなっていたような気がします。恋人がいればいたで金の負担がきつかったですし。そのためにアルバイトをしたりしてました。恋人がいなければいないで,孤独でものすごく寂しく感じられました。だから友だちとクリスマスパーティをして過ごしたり,アルバイトを入れたりしてました。
それは,何ものかに操られていると感じつつも,それから逃れられないという強迫観念がつきまとっていましたね。その何ものかというのも,広告代理店なんだろうとぼんやり感じていたものですが。これは,「第5章 1991年のラブストーリー」ともクロスしていますね。
とまあ,自分の経験を再考させられる本でした。
内容はある程度説得力もあるし,面白いんだけど,もう少し饒舌に語ったほうがよかったんじゃないかなあ。データを用いて解説することに偏りすぎていますね。大塚英志氏『「おたく」の精神史―一九八〇年代論』や本田透氏『電波男』のように。
帯に「若者殺しの下手人は!? 80年代に謎あり!」とあります。堀井氏の言いたいこととは,ちょっと異なりますね。
いつの時代でも,若者は社会システムに殺されるということでしょう。
社会システムそのものは,ある周期ごとに構築され,そのシステムが入れ替わる時に,前のシステムに取り込まれた者は,次のシステムに対応できないということじゃないかなあ。
うーん,なんか違う気がするけど,ぼく的には,まあいいか,それで。また考えます。