ミステリを読む 専門書を語るブログ

「ほしいつ」です。専門書ときどき一般書の編集者で年間4~6冊出版しています。しかしここは海外ミステリが中心のブログです。

『暗く聖なる夜 上・下』

暗く聖なる夜(上) (講談社文庫)

暗く聖なる夜(上) (講談社文庫)

暗く聖なる夜(下) (講談社文庫)

暗く聖なる夜(下) (講談社文庫)

コナリー作品を読むのは,2作品め。デビュー作が翻訳されたとき読んでいるけど,内容はほとんど憶えていない。あまり乗れなかった。内容が面白くなくても,乗れていればよかったんだけど,乗れなかったので,その後手に取らないまま。
本作品を手に取ったのは,『このミステリーがすごい!―2005年のミステリー&エンターテインメントベスト10 (2006年版)』で2位になったり,『ミステリマガジン2006年3月号』の「私のベスト3」で何人かのひとが挙げていたから。
けど,まあ,今回も乗れなかった。どこが魅力的なのか,理解できなかった。どうしてなのだろうか? 文体のせいだろうか? というのは,読んでいる途中,「まるでハリウッドのテレビドラマみたいだなあ」と何度も感じたからである。

テイラーは大柄な男だった。百八十三センチ,百キロ以上ある。だが,体型は崩れておらず,茶色の巻き毛がふさふさしており,よく目立つ青い瞳をしていた。その姿にあごひげが,アーティストめいた高尚な雰囲気をくわえていた。もっとも,テイラーがせっせと働いている分野は,芸術とはおよそ無縁だったのだが。

これは,主人公の元刑事ハリー・ボッシュが,ある事件の調査のために会った男の描写である。あっさりしている。物足りない。あなたの想像するハリウッド男優を当てはめてくれ,と言わんばかりではないか。ハリウッドドラマのような台詞で話が運ばれるのである。
この,あっさりした描写が続く。類型的なキャラクター,類型的な舞台のように感じる。退屈になってしまう。だから,ぼくはコナリーの作品そのものに乗れないのだろう。
しかし,トリック・プロットは,意外性があって魅力的です。最後の犯人像(のような)は,謎解きミステリに先行作品があり,ひょっとしたら,それかなと気持ち半分期待したら,そのとおりで面白かったです。


ひとつ話は変わるけど,この翻訳者の漢字の使用方法には納得いかないものが多かったですね。あまりにもひらがなを使いすぎますよ。
例えば,最初の1〜2ページのなかから引用すると,「けっして(決して)」「つねに(常に)」「おなじ(同じ)」「つづけ(続け)」「なにをしなければ(何をしなければ)」「扉をあける(扉を開ける)」などである。
どのような基準でひらがなを使用しているのか,まったく分かりませんでした。最後までイライラさせられました。