- 作者: 本田透
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/11/07
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 65回
- この商品を含むブログ (183件) を見る
したがって,本書を書店で見かけたとき,「早いなあ,出版するの,どのように書いたのかなあ」と興味をもって,手に取りました。
本書の本田氏の主張は,『電波大戦』と同じでしたね。『電波大戦』からギャグ(冗談)を抜いて,すこしサラリーマン向けに真面目な書き方にした新書といえるでしょう。
このオタク論は,面白く,説得力があるんじゃないでしょうか。私自信は,軽いオタクにすぎないためなのか分からないのですが,本書に書かれているようなディープなオタクの人々の心情が十全に理解できませんでしたが…。
しかし,「負け犬」という人々がオタクについて理解できず一方的に傷つけているように,オタクである本田氏が負け犬のことを一方的に決めつけているようにも感じます。そのようなところが散見されるので,内容について少々違和感をもってしまうのですね。
でも,人間は何か拠り所をもたないと精神的に安定して生きていくことができない。ある人は,それが「神」だったり,ある人にとっては「恋愛」だったりするわけで。そのための「萌え」であるという論理は,歴史を通じてみても正しく,人間ってそんなものなんだよね,と思うわけです。
[2006/07/31追記]
あとからつらつら考えてみたら,『電波大戦』でもいえることだけど,「萌える男」の恋愛は,純愛であるという主張に違和感を感じますね。本当に純愛なんですかね。一体純愛って何なんでしょう。金銭が授受がからまないことなのか。性的交渉が絡まないことなのか。女性を容貌で区別せず,例えば性格や自分との相性で判断をすることなのか。浮気をせず,1人の女性を愛することなのか。
これらのどれも「萌える男」が当てはまらないにしても,いいんじゃないかと思うんですよね。自我の安定の一形態なんですから。どれがよい,どれが悪いという問題ではないんですよね。